歌い手魂其の十四・やしきたかじん
今日は久しぶりの大阪LIVEなので、
大阪にちなんでやしきたかじんさん。
やしきたかじんさんは、九州にいた頃は知りませんでしたし、
関西に住んでからも、歌手ではなく司会者としての印象が強かったです。
でも、関西の人たちがカラオケでよくやしきたかじんさんの曲を歌うので、
実はすごく歌い手としての実力がある方だと言う事を知りました。
一番聴いたのは“東京”。
関西に特化した方なのに東京を舞台にしていて、
最初は意外に思いましたがそのギャップがまたいいんでしょうね。
歌唱力は言わずもがな、
高音の伸びと、独特なビブラートがかなり個性的です。
1971年にデビューした彼には数多くの逸話があります。
元々持った気質とこだわり故の事だと思いますが、
それでも尚彼が受け入れられたのは
その気質とこだわりの結果だったと思わさせられます。
東京に行ったり、関西に戻ったり…
沢山の紆余曲折があったやしきたかじんさんですが、
それは憶測でしかものを言えないので私は何とも言えません。
自殺寸前にまで追い込まれた事もあるそうですが、
少なくとも私が知っているやしきたかじんさんは
そんな背景を背負っているようには映りませんでした。
それも「その時」を一生懸命に生き、
色んなものとぶつかった故での事だったんだと思います。
“東京”と同じくらい聴いたのは“やっぱ好きやねん”。
1986年に関西で注目を集めた曲だそうですが、
この動画がいつのものかは分かりません。
私自身初めて見ましたが、若い頃のたかじんさんはとても新鮮です。
私が知ったのは関西に行ってからでしたが、
関西での彼の立場や人気は確立されたものでした。
だからこそ、関西気質の大振りで大胆で裏表のない印象を受けていました。
和田アキ子さんもそうですが、
そういう人こそ、実はとても繊細で、
外には見せない弱い部分が多分にあったと感じざるを得ません。
ノイローゼになったり、自殺寸前にまで行った事もそうですが、
緞帳が下がった瞬間に意識を失って生死をさまよったり、
客席をまともに見る事が怖いからとサングラスをかけたていたり…
どんな大御所と世間が認めたところで、
やっぱり例えばステージ一つであったとしても
それほどの重圧を感じると言うのは、一人の人として、
また、歌い手として、とても共感出来る話です。
2014年に亡くなったやしきたかじんさん。
その時の衝撃も、こんな小さな島国「日本」ですら
地域によって全く違うものだったと思います。
それが良いのか悪いのか、それは範疇外です。
少なくとも、私にはショッキングなニュースだったし、
それこそ関西の人にとってはもっとショックを受けたでしょう。
「誰の事?」と思った人もいるはずです。
そんなやしきたかじんさんが最後にリリースした“その時の空”。
私は今回初めて聴きましたが
この曲を子供たちと歌いながら、彼が何を感じていたのか…
その閉じられた箱は、二度と開かれないのが残念です。