SHIINBLOG

Liva's anything about...?

都内で活動中の本格派アコースティックユニットLivaealのブログです♪

歌い手魂其の十・さだまさし

二回連続で初めて行ったLIVEアーティストを紹介しましたが、

その続きで大御所のさだまさしさん。

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まず、どうしてその流れでさだまさしさんなのかと言うと…

二回続けて「初めて自分の意志で行った」と書きましたが、

自分の意志は関係なく、最初に行ったのがさだまさしさんのLIVEだったのです。

 

元々、私の父がさだまさしさんをよく聴いていたというのもあり、

聴き馴染みのある方でした。

それに加え、出身地も同じ長崎なので、

親世代にはより親近感があったのかもしれません。

LIVEへは長崎に住んでいた小学生の時、

友達のお母さんが一緒に連れていってくれました。

そこは稲佐山という、長崎では有名な場所なのですが、

その野外ステージでのLIVEでした。

まだまだオコチャマだった私は、曲に聴き入る事なく

野外広場であちらこちら動き回っていました。

(そこでコンセントに引っ掛かり、派手にこけた事は忘れもしないw)

全く、今となっては残念極まりない…

 

とまあ、そんなこんなで思い出深いさだまさしさんですが、

元々はグレープというフォークデュオで1972年にメジャーデビュー。

精霊流し”で一躍有名になりました。


精霊流し さだまさし

この曲が有名になり、『精霊流し』が灯篭流しの様な静かなものと

イメージされる事も多いようですが、実際は全く違います。

お盆に、その年初盆を迎える故人偲んで

精霊船を流し場まで運ぶ長崎の伝統行事なのですが、

その際、街は爆竹と花火の海となります。

すごく華やかで、うるさい(兄はそれが原因で鼓膜を破りました)行事であり、

ある意味祭りの様でもあります。

ただ、亡くなった人を送る、という本来の目的があるため、

故人の家族・知人からするとそれこそ沢山の思いがあります。

そういう独特な風習もあるため、

長崎の人からするとこの“精霊流し”はより一層沁み入るものがあります。

 

さて、その話を始めるとキリがないので話を元に戻します。

さだまさしさんと吉田正美によるグレープは1976年に解散した様なので、

デュオとしては4年間の活動だったのですね。

それからさだまさしさんはソロミュージシャンとなります。

小さい頃によく聴いていた曲は“天までとどけ”。


天までとどけ さだまさし

この曲は小学生3年生の時に父親に教わった曲で、

その時の家庭環境や何やらを思い出され、今でも胸に込み上げてくるものがあります。

 

さだまさしさんの高音と、丁寧な歌い方は勿論の事、

メロディーも良ければ、歌詞も素晴らしいです。

ちょっと前に『風に立つライオン』という映画を観ましたが、

主演の大沢たかおさんがその曲に惚れ込み、

小説化・映画化を熱望した事から立ち上がったプロジェクトだったと言うのを知り、

その曲の持つ力と言うのを改めて感じさせられました。


さだまさし×佐渡裕 「風に立つライオン」

この曲一つ取っても、

さだまさしさんの曲には物語があるのが分かります。

ご本人も歌詞には余程のこだわりがあるようで、

クレジットを『作詞』ではなく『作詩』と表記しているそうです。

 

また、胸に響く曲が多い中、コミカルな曲もちょくちょくあります。

“関白宣言”は有名ですが、そのアンサーソング“関白失脚”とか面白いです。

(最後はちゃんと締め括ってます)


関白失脚 さだまさし

 

因みに、さだまさしさんはよくバイオリンを弾いていますが、

3歳の頃から習っていて中学1年生でバイオリンの修行の為に単身上京したそうです。

そういう経歴もあり、初めてSimon & Garfunkelを聴いた時に

バイオリンとは対極にあるギターの魅力に感激したそうで…

そうして音楽を繋げていく事は本当に面白いし、改めて音楽の奥深さを感じます。

 

さだまさしさんの名曲は多数ありますし、逸話も沢山ありますが、

最後に“防人の詩”で今回は締め括りたいと思います。


Sakimori no Uta (防人の詩)/ An Ode by an Ancient Japanese Coast Guard: (by Sada Masashi